アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

教室の窓から覗く巨大な顔

小学校6年生の時、担任のH先生の授業中に突然外が真っ暗になった。

午後の授業で、14時〜15時くらいだったと思う。授業を受けていたら急に蛍光灯の明かりを強く感じて、辺りを見回すと窓の外が夜みたいに真っ暗だった。先生と40人ばかりのクラスメイトがみんな、なんだなんだと騒ぎ出した。

 

4階にある教室の南側に面した窓の外にはついさっきまで、空とグラウンドと坂下の家々が見えた。そういうものが全く、夜の闇に呑まれたように何も見えず、明かり一つない。「何これー!?」とみんな大騒ぎになり、窓際の生徒は貼りつくようにして外を見ていた。他の生徒も立ち上がって外を見て、廊下寄りの席だった私も背伸びして外を眺めた。ここで偉いのは、みんな立ち上がりこそすれ基本自分の席を離れない、という行儀の良さ。学級崩壊?何それという感じだ。

 

先生は頭の上いっぱいにはてなマークを浮かべたような顔をして窓から外を見て、そして廊下に出て行った。当然、廊下の外は?他の教室の窓外は?という疑問が湧く。元気の良い、リーダー格の男子1人が後を追って廊下に出て行った。先生は数分で戻ってきて、教室外の様子を知りたがる子供達に答えないまま、ひたすらはてなマークを浮かべていた。男子生徒も先生について戻ってきて、質問攻めのクラスメイトの声も耳に入らないかのように首を捻るばかり。

 

にわかに教室が明るくなった。窓の外は元どおりの青空で、グラウンドも、その先の家々もいつも通り。残念ながら私はその変化の瞬間外を見ていなかった。明るい教室の中で蛍光灯が鈍く光っていた。みんなが「戻ったー!」とワアワア騒いでいる中で、H先生と教卓の前の席にいたY君二人だけが未だ呆然としている。そして二人は顔を見合わせて、「見た?」「見た」。何何!?と興味津々な生徒たちに先生は、「…大きな女の顔が覗いてた」と教室前方の窓上部を指さした。「ねえ?」と先生にふられたY君は、頷きながら「女の顔だった」。教室は水を打ったように静まり返った。けれどすぐに、何それ!? 怖っ、わけわかんないなどの声が上がる。私は怖いというより、不思議でワクワクする気持ちの方が大きかった。

 

それにしても、あのどう考えても不思議極まりない状況でなぜもっと動かなかったのか。行儀よくしてる場合じゃない。窓に近づいて外に手を出してみるとか、廊下に出て他の窓を見るとか。さすがにグラウンドに出る勇気までは無いにしても…。先生もその後5分くらいで気持ちを立て直して、騒ぐ生徒たちを静まらせて授業を再開した。なんの授業だったかは忘れたが、今思うと授業なんか続けてる場合じゃない。

授業時間が終わって、みんなさっきの不思議をワイワイ話し合った。確か他のクラスの友達に、そっちはどうだったかと聞いたと思うのだけれど、残念なことにその結果は覚えていない。廊下を見に行った男子生徒にも質問した気がするが、その答えもさっぱり思い出せない。結局みんな、不思議なこともあるもんだなーくらいのテンションで終わった。さすがにY君だけは帰るまでずっと沈んだ様子だったけれど。

 

家に帰って母親と兄に話したところ、非現実的なことに興味のない母は「ふーん」と気のない返事で、私の小学校の横、車道を挟んですぐ隣の中学に通う兄は、「外が真っ暗になるなんて無かった」と言っていた。いま検索しても皆既日食の情報もないし、少なくともそこら一帯が真っ暗になったわけじゃないようだった。本当に不思議極まりない出来事だったけれど、その出来事に対して、「不思議ー!」で終わらせていた自分が何より不思議だ。

 

そしてさらに、私は二十代半ばになって『女優霊』という映画を観るまで、そんなことがあったことすらすっかり忘れていた。

『女優霊』は高橋洋脚本、中田秀夫監督のホラー映画。その冒頭、クレジットバックの映像で、古い日本家屋の中に何か物語を感じさせる様子で人形が佇んでいるのだが、その窓からひょっと大きな人の顔が覗く。実はこの家と人形は映画撮影の打ち合わせの為の模型で、覗いた顔はその映画の監督(柳ユーレイ)というシーン。DVDで観ていて柳ユーレイの顔が窓から覗いた瞬間、「あ」と思い出した。思い出してみると、よく今まで忘れてたもんだと驚いた。

 

実は私たちの見ている世界はVRだとか、脳みそだけがダーッと並んでいる空間が現実で、その脳がコネクトしながら見せている仮の世界を我々は見ているんだとか、昔からいろいろと言われているけども…。実際私たちはシャーレに培養された菌みたいなもので、培養者が顔を覗かせることがあるのかもしれない、なんて思ったりする。しかし、シャーレの菌であろうとなんだろうと、私はいまこの穏やかな日常を慈しんでいる。思い出しながらこうして書いてるうちに怖くなってきた。あの時、自分の席から動かなかったのは正解だったかもしれない。もしかして防衛本能が働いたのかもしれない。

 

誰かが言ってた。オカルト的なものに対する大衆のヒステリックな反発はどこから来るのか?まるで何かに触れるのを無意識に恐れているような。そもそもオカルティックな物自体が、まるで何かの意思で隠されているようなー云々。森達也の『スプーン』だったかもしれない。もしいま目の前に白ウサギが現れても、私は決して後を追わないだろう。

ブログのテーマからそれましたが、一体あれは何だったんだろーか、でした。 

 

面白いです。最後に幽霊がド派手に出てくるのは残念だったけれど。脚本では違って、もっと厳かに怖かった。