アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

皮膚科への通院

小学校から中学一年にかけて、各種民間療法も加えて試していたが、基本的にはずっと総合病院の皮膚科に通い、そこで処方される薬を塗っていた。たしか粉薬も飲んでいて、かゆみを抑えるという抗ヒスタミン剤だったか。これは甘めで苦じゃなかった(はず)。

月に一度くらいの頻度だったろうか、病院で肌の状態を見せ、血液検査をして薬を処方してもらった。はて、血液検査は何の為だったのか。と思って検索したところ、IgE値ってのを測っていたのかなあ。『アレルギー原特定とアレルギー炎症の数値化』というような情報が出てきた。肌の炎症の度合いが数値として出てくるから、治療の目安になるらしい。


そこは母の勤め先(母は内科の看護士)で、母と皮膚科の看護士さんとは仲が良かった。それで母が「私が採血しとくよー」と言うのだけれど、母の採血がまあ痛くて痛くて。針が血管にちゃんと入らずに何度かブスブスやられて、血を抜く時も何でか酷く痛かった。一度やられて懲りてから、「お母さん下手くそなんでやらせないで下さい」とお願いしていた。


この頃女性の看護士は、繋ぎの白いスカートにナースキャップが決まりの格好だった。この姿を思い浮かべるとつい "看護婦さん" と言ってしまう。子供ながらも、あの格好は華やかで素敵に見えた。先日、母が看護士を始めた頃の写真が出てきて、病院の屋上でナース服の母と同僚が微笑んでる姿に、なんとも言えぬ淡い感情が浮かんだ。しかし母曰く「スカートは動きづらいしナースキャップは蒸れて不衛生」だから「無くなって本当に良かった」と、廃止は当然の流れだったようだ。


皮膚科の先生は、自分で開業したり、別の病院に移ったりで数年ごとに変わっていた。「大丈夫大丈夫」しか言わない適当な先生もいて、看護士さんに後から「あがんこと言って診察したあと執拗に手ば洗いよらす」と教えられたことも。「こんなに酷くなったのはお母さんの責任ですよ」と頭ごなしに母を責める医者もいて、「こいつお母さんが日々どんな苦労をしよるか知らんくせに。自分の子供がアトピーでもなかろうに」とムカムカして意思表示に睨んでいたら、察してくれたようで「まあ、大変でしょうけどね」と取り成していた。


嫌なことばかり覚えているようで恐縮だが、私はどうもいまだに医者に不信感がある。
数年前、東京のある総合病院で大きめの粉瘤の診察を受けて、「しこりをなくす薬を出します」と言われ薬局に行ったらゲンタシンが出てきた。アトピーの炎症からしょっちゅうできものができて、昔からよく使っていたゲンタシン。「これは化膿止めでしこりは消えませんよね」と薬剤師に言ったら「そうですね」と言われて、診察費が高かっただけにはらわたが煮えくり返った。結局、別の診療所で切ってもらって、『粉瘤に塗ったら内包物が消える・出る薬』なんてものは存在しなかった。本当、病院の評判は事前に調べないといけないと思う。
※もちろん、頼りにしている先生、素敵だと思う先生もいます。


一度、「医学本に重度アトピーの症例として写真を載せたい」と言われたが、見せ物になるようで断った。『他のアトピー人の為の医学貢献』が浮かばなくも無かったが、人目にさらされることへの恐れが先に立った。
結局通院して症状が良くなることは無かったけれど、後から聞くに、当時はまだステロイド外用薬の副作用が大きく問題視されていたこともあって、両親が医者のいいつけよりもステロイド剤を少なく、控えるようにしていたらしい。言われた通りに使用していればどうだっただろうか。