アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

土佐清水病院 土佐清水②

産まれて初めて飛行機に乗った。高知行きの飛行機はガラガラで、それでも通路側の席だったから乗り出して窓の外を眺めた。
ぐんぐん小さくなっていく街が、技術のはんだごてで作った回路基板に見える。母にその発見を伝えると、「そお?」と言われたが、後々空撮の街と回路板をダブらすようなCMを見た。
客室乗務員さんが来て「好きなところに座って良いですよ」と声をかけてくれた。空いている窓に張りついて外を眺める。巡航高度に達した飛行機からは、地球の丸い形が分かるような気がした。


高知空港から高知駅に行って、四国の最南端にある土佐清水市まで電車とバスを乗り継いだ。らしいのだが、私の記憶にあるのは高知駅前の坂本龍馬像とバスから見た四万十川だけ。四万十川は確かに大きな川だったけど、一度橋を渡る時に見えただけだから今では記憶映像もかなり不鮮明。
高知駅から土佐清水市までだいぶ時間がかかったと思う(googleで調べたら3時間くらい)。土佐清水は静かな港町だった。そしてめちゃくちゃ暖かかった。高知に着いた時も暖かいとは思ったけど、土佐清水は12月半ばにもかかわらず上着がいらないくらい。


着いてまずは昼ごはんを食べようと散策して、『土佐清水病院患者用メニューあります』と書かれたメニューボードを出している喫茶店を発見。そこで母と二人、肉の代わりにツナが入ったカレーを食べて、なかなか美味しかった。他にも大豆でできた肉(風のもの)の時雨煮をおまけにつけてくれた。これが結構肉っぽくて、これからの生活に勇気をもらった。
この大豆肉自体は "畑の肉" とか "大豆ミート"の名前で売られている。ついこの間、坊主をしている友達から水で戻すタイプの畑の肉三点セット(牛風豚風鶏風)をもらって久しぶりに食べてみたのだけれど、記憶と違って肉からはだいぶかけ離れていた…。調理の仕方が問題だったのかもしれない。


お腹を満たしていよいよ病院へ。何日も通ったくせに外観は全く覚えていないのだが、中は結構古びていたと思う。いざ中へ入ると、そこはアトピー患者でごった返していた。比較的軽い人から私以上に痛々しい症状の人、中高生から若い女性・男性、40〜50代の人もいたと思う。自分を棚に上げて、よくこんなに集まったもんだと驚嘆した。母ははばかりながらも "アトピー患者の見本市みたいね "と漏らしていた。それだけ圧巻の風景だった。
じゅくじゅくの地肌があらわになった頭部に、少ない毛髪を纏わせた7~8歳くらいの女の子が、静かに私の前を通りすぎていった。諦観か、疲れ果ててしまったのか、本当に子供らしからぬ静かな顔をしていた。ほかにも、自分がまだ軽く感じるくらい、大変な思いをしてきたんだろうという人たちが何人もいた。母も「あんたは相当酷かと思っとったけど…」と私の顔を見て言った。


受付を済ませて診察を待っていると、数日前から入院しているというおばさんが話しかけてきた。「よく頑張ったね、ここに来たらもう大丈夫。本当にここに来てくれて良かった」と、信奉に近いオーラがびりびり出ていて少し怖かった。おばさんはそれだけの効果を得たということだろう。


結構待ったような気もするが、呼ばれて診察室に入り、痩身の40代くらい?の先生の診察を受けた。症状はそれなりに重度だったようで、入院期間は治療をしながら様子を見て決めるとのこと。全身の皮膚の状態をみて、薬の付け方や飲み薬の量を決めていたと思う(最初の診察についてはだいぶうろ覚え)。


私の処置は夜からだった。治療の時間は民宿ごと月替わりのローテーションで決まっていた。母と私は宿泊先の民宿に向かった。