アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

患者さんたち 土佐清水⑦

病院・民宿ともにアトピー性皮膚炎の患者ばかりだったから、気持ち的に非常に楽だった。いつもは人目を気にして、どこかで回りからの攻撃に怯えていたところがあったけど、ここは症状に差こそあれ皆アトピーだから、のびやかな気持ちで過ごせた。


同じ民宿の患者さんと話をする機会がしばしばあった。
ある20代の女性は、高校生くらいの時に症状が悪化して母親からも疎まれるようになったらしい。卒業後家を出て彼氏さんと暮らしていたが、アトピーがますます悪化して引きこもるように。「どうせ治らない」と部屋の隅で布団に隠れて過ごす彼女を、彼氏さんは絶えず励まし、彼女から落ちる皮を箒で掃き集めて掃除し、そしてこの土佐清水病院を見つけて来た。初めは「どこに行こうが一緒」とはねつけていた彼女だったが、彼氏さんの献身を受けて、とにかく行くだけ行ってみようと決めたそうだ。
その人は来てどのくらいだったか、アトピー特有のゴワゴワした厚ぼったい皮膚の名残はあるものの、さほど酷くは見えなかった。入院してかなり症状が改善されたと言っていた。「彼に本当に感謝してる」と話していて、ほんとに全く、私はその話を聞いてそんな人が存在するのかと深く感銘を受けた。血縁もない他人でありながら、皮が落ちるのを責めるでなく掃き集めるだなんて! そしてまた彼女の母親の話を聞いて、真剣に私のアトピーに対処してくれている自分の親が、実はありがたいものなんだと知った。


兵庫から来たという20代初めくらいの女性は、一見アトピーだとは分からなかった。手足の間接を見せてくれて、白く色が抜けたようになってテカテカしていた。もともと首や間接だけに症状が出て、ステロイドで良くなったものの痕が気になり、「もうちょっとどうにかならんものか」と土佐清水病院の新大阪診療所で診察を受けたらしい。入院は必要ないと言われたそうだが、「どうしても行きたいんです!」とゴリ押して来たそうだ。
遠赤外線を放射するという特殊な石粒に埋まるサンドバス治療が「最高に肌がしっとりする」と気に入っていて、「あの石粒、なんとかこっそり持って帰れへんかなあ」と関西人らしい(偏見?)ことを言っていた。毎日少しずつ局部に隠して持ち出せないか…なんてことも言っていて(※冗談で、です)、「歩いたらポロポロ落ちるでしょ」とツッコミを受け、脱衣所でパンツを履くまでのこぼれない歩き方を模索していた。子供だった私には大変刺激的な会話だった。


高校生だという金髪ロングパーマの無愛想な女の子がいて、同室の人が「部屋でポテトチップスやカップラーメンを食べる」と怒っていた。スナック菓子もラーメンも、アトピー悪化の原因になるため食べるのを禁止されている。その高校生は入院してしばらく経つらしく、見た目アトピーとは分からず、良くなって気が緩んだのか、我慢の限界が来たのか。気持ちは分かるなあと思ったが、目の前でご禁制の品をバクバク食べられる方も堪らなかっただろう。同室の人は「女将さんに言って部屋を変えてもらう」と怒り心頭に発していた。その後割とすぐ、女子高生は退院になって家に帰っていった。


当時、それまでそんな風にアトピーの人と話すことが無かったから、その点においても良い経験だった。私の母も病院で、娘さんの付き添いで来たお母さんと情報交換などしていた。当事者もそうだが、アトピーの子供を持った親同士も、実感をともなった話し相手がいるのは有り難かったのではないだろうか。


思い出してみると、病院で見た患者さんは男性よりも女性の方が圧倒的に多かった。アトピーの本人にしても親にしても、患者が女性だと見た目を重要視するから診察を受ける・受けさせる人が多いが、男性は放置する・されるケースが多いらしい。それでとんでもなく重症化してしまったりするそうだ。

働きだしてから職場に結構酷いアトピーの男性がいて、「病院行ってる?」と聞いたら、「どうせ治らないし死にはしないから」と言いながらボリボリやっていた。死にはしないが悪化すれば日常もままならなくなる病気だから、病院には行って欲しい。