アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

経過

小学校中学年頃の写真を見ると、顔も含めて全身真っ赤で見るからにゴワゴワしていて、眉毛も無いし(かゆさのあまり自分で抜いてしまった)、かゆくなるからと刈り上げで前髪デコ上の短髪だったのが余計痛々しさを増している。
この頃の写真は恐ろしくてなかなか見れずにいて、こないだ実家に帰った時に意を決して十数年ぶりに見た。母と兄と三人での夏の旅行や、家でTシャツめくって腹を掻いてる写真、顔がジュクジュクだから撮られたくないと言ったのに先生に強制的に撮られた図工で作ったワニの被り物を頭に載せた写真など。写真を見たら当時のことをいろいろ思い出して感慨深かった。覗き込んだ母が「あんたよう見れるね。私は胸が痛む」と言っていたけれど、私は案外見出したら慣れた。


高学年になると多少落ち着いて、顔の症状が目立たない時期もあった。あまり写真を撮らなくなっていたのだけど、卒業アルバムなんかはアトピーだって分からないんじゃない?というくらい。髪の長さもまだ普通のショートヘアになって、眉毛もようやく復活した。
母の行きつけのヘアサロンで髪を切っていたんだけれど、いくら「あんまり短くしないで」と言っても毎回ザクザクに切られた。年齢的にそろそろ耐えられなくなって、「本当に短いのが嫌なので」とお願いしたのにやっぱり容赦なく切られて、憤慨して店を変えた。母が聞いたところによると、アトピーに悪いからと気を使ってくれたらしいのだが、流石にもう本人の意思を汲んで欲しかった。


波はあったものの症状が比較的マシになって、それまでよりは落ち着いて生活できていたと思う。それでも大きくダメージをくらったのが学校行事でのお泊りだった。
五年生の夏に宿泊訓練があって、市街地近くの山の中にある "青少年の家" 的な施設で一泊二日。運動したりキャンプファイヤーしたりするのだが、こういうところに泊まると必ず酷くなった。
みんなと一緒のお風呂は肌が十分に柔らかくならないうちに上がらなきゃいけない。アトピーで厚く固くなった肌はなかなか水分を吸収しなくて、固いままだと入浴後の薬がまるで浸透しない(カサカサをこすり落とせないという問題も)。先生の部屋を借りた薬つけも、早く皆に合流するために慌ててやっていた。
先生もちゃんと配慮してくれる人で、病気なのは仕方ないから必要な時間はちゃんと取れば良かったのに、この頃は "皆に合わせること" に必要以上に気を使っていた。

寝室も問題で、二段ベッドが4つばかり並んだ部屋やベッドの隅々はどうしても埃っぽいし、床は "ダニの温床"として避けるよう教え込まれてきたカーペット敷き。空気はどうしても乾燥するし、化繊のシーツや布団カバーが肌にチクチクしてちゃんと眠れなかった。
一夜明けると見事にアトピーは悪化。顔は赤く腫れて、右腕の間接に残っていた数少ない正常な肌も、カサカサで厚ぼったい皮膚にのまれてしまった。


で、そんな状態で家に帰ったら、父からそれ見たことかと言われた。そもそも「酷くなりそうだから行かない」と私が言い出して、先生に渡す説明の手紙を父が丁寧に書いてくれたのだけど、教室でこそっと先生に渡したつもりが、先生が「えーっ 行かないの!?」と大声を張り上げ、クラスの子達が なんでなんで!?となるその空気に耐えきれず、「やっぱり行きます」と言ってしまった結果だった。時間をかけて手紙を書いてくれた父は仕事から帰ってその手紙が無駄になったと知って、「それなら初めから行かないって言うな」と不貞腐れていた。


爆発的に悪化したものの、なんとか症状は落ち着いたんだと思う(とても細かく覚えている出来事がある一方、どうしてたんだか全く思い出せないことも多い(普通そういうものか))。結局翌年には楽しみに修学旅行へも行ったし、5、6年の時は特に楽しく学校に通っていた記憶がある。