アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

サンドバス 土佐清水④

民宿で夕食を食べたあと、着替えとタオルを持って母と病院へ向かった。治療はたしか19時頃からだったと思う。


民宿ごとにローテーションで時間が決まっていたから、自然ほかの宿泊者と連れだって行くことになる。入院の "先輩" たちが、これからどんな処置を受けるか話してくれた。
まず "サンドバス" というのに入って、それから薬をつけ、薬の浸透を増す為に包帯を巻くらしいのだが、そのサンドバスとやらに10分かそこら入るだけで、自分では風呂に入れないという。しかもそのサンドバスは、お湯に浸かるのでは無く" 石に埋まる " という。どういう状況かよく分からない。細かい説明を求めると、「行けば分かるよ」と言われて終わってしまった。
母に「大丈夫かね」と聞いたら、「大丈夫さ。アトピーの病院なんやから」。おっしゃる通りなのだが、それでもやはり心配せずにおれない。そんな私に、母は力強く「なるようにしかならん」と言った。「なるようにしかならん」「死にゃあせん」は母の常套句で、「確かに…」と思わせる何か強い説得力があった。しかし、やっぱり不安…。


病院に着くと、まずはサンドバス待ちの列に並ぶ。その間、全ての処置を終えた患者さんが順に出てくるのだけど、頭のてっぺんから足の先まで包帯でグルグル巻きの人がいて、本当にビビった。目と鼻の穴と口だけ開けて顔もグルグル巻きで、間接が曲がらずにギシギシ歩く様は、まさにミイラ怪人。「私もああなるのか…?」と固唾を飲んだ。


サンドバス用の浴室は男女別に一つずつあって、一人ずつ入るようだった。私の前に並んでいた患者さんが中に入ってしばらくすると、看護師さんが顔を出して中に入るよう指示した。
脱衣場で服を脱いでいると、看護師さんが浴室の中から「下着も全部脱いできてね」と言う。中には看護師さんはもちろん前の患者さんもいるから少し戸惑った。でも患者さんとはアトピー同士だし、看護師さんはもうよっぽど見慣れているだろうと気づいて、「別にいいか」と全部脱いで浴室に入った。
浴室は家庭用の2倍くらいの広さはあったと思う。バスタブは大人が横になって頭ごとすっぽり収まるくらい。バスタブには赤褐色のBB弾みたいな石粒が満たされていて、その中に前の患者さんが埋まっていた(ちなみにこの石、九州の山奥で採掘された、遠赤外線を放射する特殊なものらしい)。バスタブの脇に看護師さんが腕まくり足まくりで立っていて、私に「体を洗っといてね」と言った。
石に埋まるってこういうことなのね、と思いながらシャワーを浴びて、体と頭を流す。その間にタイマーが鳴って、埋まっていた患者さんがもりもりっと石粒から身を起こし立ち上がった。看護師さんが浴槽の脇にあるもう一つのシャワーで体についた石粒と汗を流し、その患者さんは「お先に」と脱衣所へ引っ込んだ。


看護師さんがバスタブの石粒にじゃんじゃんシャワーをかけながら底から大きく混ぜ返し、中央を凹ませて私に入るよう促した。寝っ転がると看護師さんが石粒をかけて埋めてくれる。顔は頬っぺたに寄せるくらいで、顔面ごと埋められはしなかった(はず)。ホカホカ暖かくて、石の細かい肌触りも不思議な感触で気持ち良かった。その状態で10~15分くらいだったか。はっきり覚えていないが、そんなに長くはなかったと思う。
次の人が洗い場に入ってきて、タイマーが鳴って「いいよ」と言われた。石粒に沈んでいた身体を起こして、シャワーをかけて貰う。短い時間ながら身体はホカホカで肌も柔らかくなっていた。

しかし今まで2時間以上、湯船に浸かっては上がりガサガサの皮膚を擦りおとしてきた(※肌に良くありません)私には、とても不十分な時間に思えた。とはいえ後も控えていてどうしようもない。擦りたい気持ちをグッと堪えて浴室を出て、パジャマ代わりのTシャツとスエットパンツで気になる肌を封じ込めた。
そして薬をつけて貰うべく処置室へ向かった。


※20年以上前のことなので現在とは違うところがあるかもしれません。あと細かい記憶違いも。