アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

頼みの綱 土佐清水①

母が言った「高知に行ってみんね」。

この頃アトピーがかつてなく酷くなり、日々頭髪が大量に抜けるようになっていた。「このままではハゲる」と危機感を持った母が、高知県にある土佐清水病院に行ってみないかと声をかけてきた。

  • アトピー患者たちの最後の拠り所的な病院らしく、治療に評判がある。だが良くならなかった人がいるという噂もある。
  • 入院期間は診察次第で、およそ一週間から10日くらい。病院に泊まるのではなく病院の近くにある患者専用の民宿に泊りこむ。
  • 入院したら肉、揚げ物、チョコレート、スナック菓子など食べてはいけない。
  • 保険がきかない。

以上が私が母から与えられた情報だった。この病院については母が古い知り合いから教えてもらったらしく、その知り合いはアパートの隣の住人がここに入院するというので知ったそうだ。
インターネットどころか携帯電話すら普及していなかったこの頃。正直どんなところか良く分からない。 "アトピーが良くなる" という噂はたいがい眉唾ものだと思っていたけど、正直その時は藁にもすがりたい思いだった。それに今までの情報と違って真実味があるように感じた。「とにかく良くなる可能性があるなら行きたい」と母に伝えると、「よし、行こう」と診察やら入院やらの手配を整えてくれた。


両親は冬休みに入ってからと言ったが、私は一刻も早く行きたいと主張。正直学校をサボりたかったのもある。「少し早めに行ったら家で年越しできるかも」と両親も納得し、冬休みより一週間ちょっと早く、学校を休んで高知に行くことになった。母も付き添いのために、一週間ほど仕事の休みをとってくれた。

今度こそ良くなって欲しい、と切実に思った。でもあまりに長くこの状態が日常だったから、それが変化するとも信じ難い。それでも土佐清水病院に行って重度のアトピーが治った (※アトピーに全治はなく寛解) という人がたくさんいる。今までになく具体性のある治療先だった。まさに最後の頼みという心境。


そうしていよいよ明日出発、という日。学校で、親しい友達には「明日から病院に入院してくる」と伝えた。一人だけ公然と学校を休めるというので、ちょっとウキウキしているところもあった。のんきだったなあと我ながら呆れる。

家に帰って泊りの荷物をまとめ終えると、昼間に購買部で買っておいたミルクホイップクリームとチョコホイップクリームを挟みチョコレートでコーティングした『銀チョコロール』というパンを2つ、チョコレートとの最後のお別れに部屋で隠れて食べた。相当に甘くて今じゃ食べたいと思わないけれど、当時学校で大人気で、毎日弁当を持たせられていた私はクラスメイトや友達が美味しそうに食べるのをメチャクチャ羨ましく思っていた。そもそもチョコ以前に、こういう菓子パンは添加物の問題で我が家では御禁制で、「もう食べられないなら最後くらい」と良い口実になった(隠れて食べるにしても、当人的に)。袋は広告で慎重に包み隠してゴミ箱に捨てた。
さらには、夕食はすき焼きだった。「肉ダメなんじゃないの!?」と聞くと、母も「次いつ食べられるか分からんけん」。この時高校生だった兄は、" 妹が病院から戻ってきたら肉が食卓に出なくなる "ことを悲しみ、味わって牛肉をつついていた。そういえば兄は一番お腹が空く年頃に私のせいで肉、揚げ物が食べられなかったんだな…と今更申し訳ない気持ちになる。


翌朝、母と一緒に家を出た。父も兄も祖母も、意外に期待をかけるようなことは言わなかった。無責任に私に希望を持たせるのをはばかったのかもしれない。それにみんなも私と同じ、このアトピーが良くなるとは、なかなか思えなかったんじゃないだろうか。