アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

地獄のプール

母親がここしばらく、自分の子育てのやり方を振り返って「良かったのかどうか…」と想いを巡らせているらしい。そのなかで、「あんなに厳しくしなくてもねぇ…」というのが、小学校の体育のプールだ。


アトピーが全身酷くなった小3の頃から、プールが嫌で仕方なかった。
醜い肌を白昼のもとに露出するのはもちろん、まずあのプールの入口にある塩素シャワー。しみる。「しっかり浴びなさいよ~」という先生の目が反れた隙にシャワーをかいくぐりながら突破。先生に喋りかけたクラスメイトに心から感謝。だがその先にはあの腰洗い槽が控えている。塩素の匂いをツンと立ち昇らせながら。
プールへの通路を塞ぐように設置されていて、腰までの高さに張られた高濃度の塩素水。その中をざぶざぶと進まなければ、プールサイドにはたどり着けない。
冷たいからという理由で狭いヘリを壁に張り付くようにして越える者(そして落ちる者)もいたが、そこまで目立つ行動はしたくない私は、歯を食い縛りながら痛みに耐えた。とにかくしみる。


プールサイドにたどり着いて、汚い肌を、己の存在を隠したい一心で小さく小さく準備運動を済ませ、ようやくプールの中へ。水のなかに入っていれば、まだ肌の状態は目立たない。
及び腰な私の様子に水が怖いと早合点した女の子達が「大丈夫、怖くないよ!」と励ましの声をくれる。説明するのも億劫なので、曖昧に頷いてプールに潜る。


もうこのままずっとプールに入らせてくれればいいのだが、途中プールサイドで先生の話を聞かされたり、一人ずつ何m泳げるか云々で長いこと列に待たされたり。
一度水に濡れた肌は猛烈に乾く。全身がつっぱり、肌の表面には干魃の大地のように白い筋がピシピシ入ってくる。極力肌が張らないようにするためなのか、自然と顔がひょっとこみたいにすぼまっていき、大変みすぼらしい風情をかもす。


いまなら「乾くんで」と言ってサッと薬を塗るくらいどうでもないことだが、当時は薬を塗る姿を同級生に見られることすら嫌だった。なんでしょうね、この "人と違うことをしたら攻撃されるんじゃないか" マインドは。
こうしてようやっと水泳の時間が終わったら保健室に走る。そしてポサポサに乾いた肌にワセリンを塗りたくる。(この時は自分で塗っていたような?)


こんな想いをしてまで授業に出る必要があるのか。否。
プールの朝、「ちょっと頭が痛いなあ」と言ってみたり、体温を何回も計って余熱?で37度弱までもっていったりして、母親にプールを休みたいと言うが、それぐらいなら出ろと決してプールカードに"欠席"と書いてくれない。
「塩素は肌に絶対に良くないし、日焼けでまた顔がぐちゃぐちゃになったらどうする」と食い下がるが、「ちょっとくらい大丈夫。あんときは三時間泳いだ」と取り合ってくれない! めそめそしたことは言いたくないが致し方なし、「アトピーをさらすのが嫌なんや!」と訴えた私に、母はまさかの「よかけん入れ」。


切実な心情を吐露して母親に一蹴された私は、母の筆跡を真似ようと懸命に努力した。しかし先に偽造者が出て、先生が「いくら真似ても子供の筆跡はすぐ分かる」と豪語するのに諦めた。
たまに授業の三時限前くらいから渾身の演技力を発揮して先生をだまくらかし、プールを回避できることもあったが、結局小学校のうちは歯を食い縛ってプールに入り続けた。



それだけプールを強いていた母がいま、「何もあんな厳しくせんでも良かったとにね」と言ってきた。
「まあ分かるよ、"アトピーだから出来ない"ということを安易に肯定したら、それを言い訳に逃げがちになるんじゃないかって心配したんだよね」と言うと、「そういうわけじゃない」。「じゃあなんで?」と聞くと、母は一間置いて力強く「わからん」。なんでやったっちゃろうね~と首を捻ねり続けている。
子供ながらに慮っていた親の心は見当違いだった。じゃあ一体なぜなんだお母さん。「あんた良く頑張ったよねぇ」とか今さら労う母。
まあ、今はもう遠い過去のことではあるが、かといって頑張って入り続けた結果何になったのかは分からないままである。