アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

始まり

時は1988年。

バブル景気の中、青函トンネルや東京ドームが竣工した年らしい。ドラクエIIIが発売され、フラワー ロック(サングラスかけた踊る花)がヒットし、オバタリアンが流行語というネットの情報を見ていると、よっぽど昔に思われる(よっぽど昔だ)。

 

私は当時4歳だったから記憶が断片的にしかないが、そういえばブラウン管の中でしょっちゅう光GENJIが走り回っていたような。ウルトラマンに夢中になっていたと思ったが、放送時期を調べたらそれは1990年のことのよう(それも再放送だった)。 

我が家のテレビはダイヤル式のブラウン管で、羽みたいなアンテナがついていた。電話は黒のジ ーコロ、トイレはボットン便所で、いつも自分自身が落っこちないか怯えながら用を足していた。当時のよその家に比べても、よほど昭和感あふれる環境だったと思う。

 

カーテンにぐるぐるッとくるまって、ぐるぐるッと出てくる遊びにハマっていた。

幼稚園で他の子がやっているのを真似して、家に帰ってからも三つ上の兄と飽きもせずに四六時中やっていた。そうしているうちに、腕の関節や首にポツポツと発疹ができはじめた。

カーテン遊びが禁止になって大人しくしてからも発疹は治ることなく、次第に体全体に広がって、病院で"アトピー性皮膚炎"と診断された。

 

カーテン遊びが原因だったのかは分からない。

ハウスダスト、ダニ、卵小麦などのアレルゲン食品から、食品添加物、衣料や洗剤の化学物質など…いろんな可能性が挙げられたが、結局はっきり何がどうとも分からず、また人それぞれ影響を受けるものは違うらしい。

 

肌が乾燥するようになって、お風呂上りに全身にワセリンを塗るのが日課になった。

幼稚園のプールの後にも、母親が来てワセリンを塗りたくられた。母は看護師(当時はまだ看護婦と言っていた)で、休みの日だったのか、仕事を抜けてわざわざ来てくれていたのか。母の務める総合病院は、家からも幼稚園からも近い場所にあった。

同じようにお母さんが来て、全身に白い粉をはたかれている男の子がいた。その子もアトピーらしかったが、見た目にはさほど分からなかった。

 

当時、我が家では父も母も同居の祖母もタバコを吸っていた。

私のアトピー副流煙が良くないらしいということで(近くで吸わなきゃ済むのだが)、禁煙活動が始まった。母と祖母はすんなりやめた。父は『私はコレで、会社を辞めました』で同じみ禁煙パイポをくわえて頑張っていたが、結局今に至るまでタバコを吸っている。

当人も当人だが、家族にとっても大変なアトピーとの付き合いが始まった。 

 

時代を感じます。