アトピー生活

アトピー性皮膚炎とのなが〜い付き合い

化け物の気分

小学2年生の時だったと思う。全身のカサカサと関節部の発疹はあったが、いま写真で見てもそう分からないくらい。

 

 待ちに待った夏休みが来て、母親に兄と二人プールへ連れて行ってもらった。

ピカピカに晴れた日だった。兄とはしゃぎにはしゃいで三時間。付き合いきれずに休憩所で読書していた母親が、さすがにアトピーへの日焼けダメージを心配してやってきて、ブーブー言う我々を一喝して帰途についた。

 夏休みは最高の滑り出しだった。帰りの車も兄と大ハシャギだったのを覚えている。ペーパードライバー講習を終えたばかりの母がかっ飛ばす赤いミニカの中で、何がそんなに楽しかったのか、飽きもせずにキャッキャと笑いあっていた。

 

翌朝、朝起きると目が開かない。違和感だらけの顔を触って悲鳴を上げた。母親が一階からすっ飛んできた。

 赤く爛れた顔全体に、破れた皮膚から吹き出した膿色の塊がもりもり盛り上がって、流れ出た膿汁が固まって目を塞いでいた。

ギャーギャー泣きわめいているうちに少しずつまぶたが開いてきて、あんぐりしている母親の顔が見えた。ついで父親と兄、祖母もやってきて、息を呑んで私の顔を見ていた。

 

お湯で湿らせたタオルでまぶたに張り付いた膿を溶かしてもらって、ようやく目が開くように。膿色のもりもりはお湯で流してもどうにもならなかった。

意を決して鏡を見たら、顔面お岩さんみたいなそのありさまに心底びっくりした。人間の顔ってこんなになるんだ、という悲しみを超えた驚き。そのあとに「ずっとこのままだったらどうしよう」と襲い来る恐怖感。

母親にビービー泣きついたら、「あがん長い時間泳ぐけんたい」と怒られた。

 

良くなるまで決して外に出るまいと誓い、近所の友達がいくら誘いに来ても頑として顔を出さなかった。

鏡はもちろん、ガラス張りの棚や消えたテレビなど、姿が映るものの前には絶対に近寄らない。そして知らず知らずのうちに暗がりへ暗がりへ。夜、電気もつけずに洗面所やトイレにいて、誰もいないと思ってやってきた母親が電気を点けた瞬間私の姿が現れ、しょっちゅう悲鳴を上げていた。

 

そんなある日、母がまじまじと私の顔を見て「…あんた化け物ごたんね」。

私は心底同意して頷いた。そして二人で大笑いした。本当に、あまりにも見事に化け物らしかったのだ。

 「代われるものなら代わってやりたい」と心から胸を痛めていた(であろう)母だったが、そうウェットになることは無かった。父も同じで、いつもどこか引いてものを見るゆとりがあったように思う。そのおかげか、私も悲壮感に沈みきるようなことはなく、どこか呑気にやっていけた。

それにしても、当時あの形相を「写真に撮っとかん?」と言った母は相当な神経の太さだと思う。当然そんな気分になれず断ったが、今にして思えば残しておけば良かった。

 

兄も私の面がまえにすぐ慣れて、結局一夏、光の入らない奥の部屋の暗がりで、ブロックや怪獣人形を使って一緒に遊んだ。

 

「夏休みが終わっても顔が治らんかったら学校には行かん」と言い張って親を困らせたが、膿色のかさぶたは少しずつ小さくなっていき、見計らったかのように8月の終わりの終わりに目元に残った最後の一つが無くなった。

せめてもう少し早ければ遊びに行けたし、もう少し遅ければ夏休みが延びたのに。